映画監督というものを意識したのは塚本晋也監督が初めだったのかもしれない。
さて6月。
予報では福岡も梅雨入りという事で、またも湿った空気の影響で、僕の前髪はチュルルンと音を立て、不自然な方向へと跳ね上がるのかもしれないし、跳ね上がらないのかもしれない日々を送っています。
そんなジメジメとした季節に、毎年思い出す映画があります。
この映画は、2002年の作品なんですが、いまだ脳内にこびり付いていて、インパク値が非常に高い中毒性を持った映画なのです。
内容はWikipediaなどでググってもらえば、すぐ出てくると思うので、物語の大筋などはここでは控えさせて頂きます。
まず、塚本監督の描く作品の魅力から触れていきたいと思うのですが、この監督の作品は、世間という物に縛られた我々観る側を徐々に侵食するタガの外れた世界観、コンクリートジャングルと形容される都市、都会と、一見有機物、無機物と、正反対の様にも思える肉体の融合を映像の中に映し出す、それはまるで鏡の様な存在なのです。
そして塚本作品特有の狂気めいた強烈な描写…
この六月の蛇という映画も、どこか狂った世界観の中、話は進んでいくのだが、最後に待つものは癒しや回復、見つめ直す自分自身だったりもします。
初めて塚本晋也監督の作品を観たのは多感な中学時代に観た「鉄男」だったと記憶してます。
当時、まだ大衆映画ばかり観ていた僕にとっては、それが全てであり、"当たり前"の映画を大いに楽しみ、"当たり前"の作りをなぞった映画を追いかける事に何の疑いも持たない生活をしていました。
クラスメイトの一人が「この映画面白いよ」と差し出したVHSテープに録画されていたのが「鉄男」だった訳ですが、初めて観た時の印象は、観てはいけない物を観てしまった…
そんな背徳感を抱えてしまった記憶があります。
当時アンダーグラウンドが何かすら分からなかった僕にとっては、これまで築いてきた映画というものの先入観を、一本の、たった一本のビデオテープに覆されたのでありました。
それからというもの、僕は塚本作品を追いかける様になり、アタリもハズレも含めてインディペンデンスも大衆映画も含めて様々な映画を観る様になりました。
勿論、当時まだ塚本作品を語り合える様な人達は周りには少なかったです。
その事実が、僕の孤独感を募らせ、異端な物への興味をより一層強くしていくのでした。
しかし、状況はある時を境に変わります。
大人になり、野に放たれた僕はクラブミュージックにハマっていき、クラブという場所に足を運ぶ様になります。
そこにはなんと僕よりも熱心な塚本フリークが、何人もいたのです!
クラブという場所は音楽を通じて、多種多様な人種が集まる場所で、そこに集う者達は社会の地位やしがらみといった枠が取っ払われ、世にも奇妙で、面白い空間がそこにはありました。
社会から弾き出された者も、世間に馴染めない不適合者も、高名な医者さえも同じ空間で酒を飲んでます。
そんな場所に、同じような境遇や趣味を持った仲間が自然と集まり、そして繋がり…
塚本作品を語りあったり、そこからインスパイアされた他の作品を勧められたり、勧めたり。
といった学生時代の所謂"クラス""同年代"というカテゴリーだけで振り分けられ、同じ箱に押し込められていた様な時代では得る事が出来なかった刺激をもらう事が出来る場所としても有効に機能していました。
今では何も後ろめたいものも感じる事なく、塚本作品の事を語れるし、他の意見を聞ける環境が構築されているのは、とても素晴らしい事だと思います。
塚本作品は、とにかくひとりの人生観を変える程のパワーのある作品なのは間違いないです。
万人にはおすすめしませんが、好きな人は好き。それでいいんじゃないかな。
そんな作品を撮り続ける塚本晋也監督を、僕はこれからも追い続けていくのでしょう。